2003年慰安旅行(草津遠征記)

日程:6/14-6/15
参加者:会長、代表、GM、親分


長野原草津口駅16:22集合予定が、実際は高崎駅14:39発の吾妻線で勢揃い でした。3人は上野から高崎線普通列車ですが、GMはその肩書きに相応 しく(?)東武線で大宮に出てそこから新幹線だったそうな。

吾妻線内はロングシートだったので、駅弁等を食べるのがなんとなく 抵抗があります。会長はキティちゃんの容器に入った駅弁を調達していた ようですが、我慢したようです。

所要時間90分程で長野原草津口駅に着。親分は清算にSuicaを使おうとして いたようで若干手間取るも、バス最高峰じゃなくて最後方の4人席を確保。 会長おもむろに弁当を食べ始めます。30分ほどで草津温泉に到着。この日 は関東地方一体が梅雨空だったようですが、草津の方では土砂降りでした。

宿についたら温泉です。「恋の病は、草津の湯でも治せない」などと言い ますが、それだけ湯治で有名なのでしょう。温泉街はH2Sが充満していま したが、温泉自体は無色透明です。特筆すべきはPH=1ということでしょう。な るほどH2SやH2SO3は溶けていないわけです。 味は塩辛かったです。

通常ですと晩飯のことになるわけですが、いまいち記憶にございません。 テレビをみていると先日の地震をうけて災害対策の番組をやっていました。 「地球と物理」を愛する当秘密結社はこの番組にくぎ付けです。「やたらに 初期微動が長くて、S波がきた時には『やっぱり今まで初期微動だったんだ』 と安心した」などとその日の話題で盛り上がっています。草津の湯も理系な マニアやオタクは治せないようですね。

私も職場(この団体と程遠いような仕事です。)で「震源は遠くてかなり 大きな地震だ」と言ったらテレビの速報を見に行った同僚から「よくわか るね」といわれてしまいましたが...

さてその番組では、津波対策なんてのもやっていましたが、奥尻島の教訓は 『津波の到達時間と人間の反応速度は同じくらいで海岸線で地震が起きたら 即走って逃げろ』なんじゃないでしょうかと思ったら、『逃げるルートを明 らかにしておく』というのが目的なのね。ふーん、なるほど。

皆適当に就寝し、翌日起床です。朝食はバイキングでしたが食事に重点を置く 人と朝風呂に重点を置く人様々です。

チェックアウトして、まずは湯畑です。硫黄を沈殿させて湯の花を作っています。 よく見ると温泉が妙に青いです。十円玉でも入れたんでしょうか?「Sイオンが 溶けていたらこんな色にならないよね」って、化学の時間じゃないんだから。 「H2SとSO2が反応してSとH2Oができる」 というのは筆者が「こうやって有毒ガスが相殺されるのか」と高校時代に妙に 感心した酸化還元反応です。(でも良く考えるとこの逆反応で火山性有毒ガス ってできるんですよね。)

次に「熱帯圏」という施設を見に行きます。『園』じゃなくて『圏』です。猿 の芝居をひとしきり見た後、突入です。この施設は温泉の廃熱を利用している んでしょうが、なぜ草津にあるのか若干謎です。

エリマキトカゲ:走ってくれなかったです。残念。
メキシコサラマンダー:『ウーパールーパー』ですね。これも懐かしい。
ファイアサラマンダー:この名前で両生類というのは意外。
バシリスク&ミーアキャット:同名のモンスターに苦しめられた覚えが...
プレーリードッグ:熱帯なの?
沢山のオウム:なんか喋ってくれよ。「いい湯だな」とか

その後は西(さい)の河原公園です。一円玉が投げ込まれています。PH=1だけ あって1週間で溶けちゃうそうです。個人的に「サイ」は賽の方がしっくり来 るのですが、20面体のやつ持ってたし。

またしても雨が降ってきたので、撤収です。帰りのバスで地ビールの店を発見 したGMが「不覚!」と叫びますが時既に遅し、駅に向かいます。

帰り道は、筆者(東京都西部在住)が八高線で帰るため高崎で昼飯(15:00だから おやつか?)を食って解散ということになりました。中華とイタリアンの2択を コイントスしたところ飲茶のお告げが出たので、点心だの粥だのを食って、清 算をして解散しました。

(おまけ)
最近、八高線って川越線の支線化しているんですね。高麗川駅で川越線は反対 側のホームなのに八王子行きは階段を渡る必要がありました。


最終更新: Mon Sep 26 22:04:25 2005

うっかり消してしまったので再作成しました。(by 会長秘書)